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都会暮らしの夫婦が農家に転身
ゼロからの就農をサポートした地域おこし協力隊制度

野田村へ
U&Iターン

農家

吉村大悟・雅子夫妻

(大悟さん 神奈川県出身 / 2020年に移住)
(雅子さん 花巻市出身 / 2020年に移住)

大悟さんは神奈川県横浜市出身。雅子さんは花巻市出身。以前から興味があった農業を仕事にするため、都内で開催された就農イベントに参加。ブース出展していた野田村の地域おこし協力隊に興味を持ち、2020年8月に山ぶどう支援員として夫婦で着任。2023年8月、3年間の任期を終えて新規就農。村内の畑でブロッコリーやピーマンなどを生産する。(2023年度取材)

きっかけは若き先輩隊員の姿
興味をひかれた山ぶどう生産

美しい太平洋を一望できる丘の上に佇む「涼海の丘ワイナリー」。2016年に建てられた野田村で初のワイナリーです。岩手県は山ぶどうの栽培面積日本一を誇り、その約4割を占めるのが野田村です。太平洋から吹き込む冷涼な風「やませ」によって、じっくりと成熟が進む野田村の山ぶどうは、豊かな香り、爽やかな酸味、そして栄養価の高さで知られ、昔から搾り汁が愛飲されてきました。この山ぶどうの生産支援のため、農業技術の習得や地域活性化の取り組みなどに貢献しているのが、地域おこし協力隊です。

今年(2023年)8月に協力隊を卒業し、村で就農した農家 吉村大悟さん・雅子さん夫妻は山ぶどう支援員として夫婦で着任。それまで農業はまったくの未経験だったというお二人は、2020年8月に、神奈川県横浜市から野田村に移住してきました。
大悟さんは神奈川県横浜市出身。雅子さんは岩手県花巻市出身。横浜市内の職場での出会いをきっかけに2017年に結婚。大悟さんは以前からものを作り出す仕事に興味があり、前職の眼鏡製造・販売店でも、販売員から製造員へと、ものづくりに関わる職種へとキャリアチェンジを経験されたそうです。
結婚から3年が経ち、「年々積み重ねてきた就農への思いを実行に移したい」と相談をした大悟さん。突然の相談に驚いたものの、就農への支援や補助金などについて十分な下調べをしていた大悟さんから本気度が伝わり、雅子さんも夫婦での就農を考えるように。都内で開催される全国の農業や移住の相談窓口が集う就農イベントに夫婦で参加。そこで、雅子さんの出身県の岩手だからと、野田村のブースを訪問します。
「ブースには、現役の先輩地域おこし協力隊員として、山ぶどうの生産に携わる20代の男性隊員がいらっしゃいました。山ぶどうだけでなく、色んな作物にもチャレンジしているとの体験談を聞けたことも参考になりましたし、何よりこんな若い男性が前向きにがんばっているということに、とても興味を惹かれました。」

実際に山ぶどう畑を見学するため、人口およそ400万人の大都市・横浜から4,000人の野田村を訪問。岩手出身の雅子さんも、その時に初めて足を運んだという村は、「想像以上に明るくて綺麗な印象」だったと言います。山ぶどうは、雅子さんにとってはお父さんが山から採ってきてジュースにしてくれたという思い出の味。都会育ちの大悟さんにとっては未知の味。それぞれの思い出と想像の中で、「酸っぱい」と思っていた山ぶどうジュースは、実際に飲んでみると、とても甘い口当たり。人の手をかけたからこそおいしくなる農産物の可能性を感じたこと、そして夫婦二人で着任したいという希望を受け入れてもらえたことが決め手となり、野田村への移住を決めます。

ほうれん草のビニールハウス内での作業

 

チャレンジを支える縦と横のつながり
自らの手で作物を育てて“稼ぐ”日々

山ぶどう生産の最大の繁忙期は収穫の9月~10月。収穫期が過ぎた後も、冬は剪定、春は芽かき、夏は蔓の手入れ、その合間合間にはずっと草刈りと忙しく日々を過ごしていると、再び慌ただしく収穫期が巡ってきます。不慣れな1年目は何をして良いかわからず苦労も多かったそうですが、手順を覚えた2年目以降からは余裕も感じるように。将来の就農に備えて、小さな畑を借りてブロッコリーやピーマン栽培に挑戦。勉強のため先輩農家の畑の見学にも出かけたそうです。
地域おこし協力隊として3年の任期が終わり、2023年8月、卒業と同時に新規就農。
「役場や農協、農業改良普及センターには、就農計画や栽培作物を一緒に考えてもらったり、農地を探してもらったりと、かなり手厚くサポートしてもらいました。近年、平均気温が上がってきて、今までこの土地で育っていたものが育たなかったり、逆に育たないはずのものが育ったりしています。先輩農家や就農仲間と相談しながら、地域に根付く作物を作っていけたら良いですね。」
同じように新規就農する若い世代は、野田村だけでなく、隣の久慈市や普代村にも増えています。吉村さんたちも、同世代の農家の仲間たちと定期的に飲み会などで交流をしながら、情報交換だったり、畑の見学だったりで、刺激を受けているそう。

村での生活は、ずっと都会暮らしだった大悟さんも、「コンビニもあるし、日常生活には困らない」と感じていると言います。
「趣味の漫画は電子書籍で読めますし、その他の欲しいものもネットで買っているから不便はないです。交通手段は電車から車に変わりましたが、時刻表や路線を気にしない車の方が、どこにでも行けるので自分には合っていますね。満員電車に乗ることに比べたら、車の運転の方がずっと楽だと感じます。」
一方、岩手へのUターンとなった雅子さんは、移住前は「小さい村だからこそ、自分たちを受け入れてもらえるかどうか心配」だったそうですが、想像以上に歓迎をしてもらい、程よい距離感でフレンドリーに接してもらっていると言います。知り合った漁師の方からはバケツ一杯のホタテをおすそわけにいただいたり、逆に自分たちも作物の端切れを、おすそ分けにと役場に届けたりすることもあるそう。
「協力隊として移住した自分たちのことを、村のみなさんは知って下さっています。もちろん悪いことはできないという気持ちにもなりますが、それ以上に『がんばっているね』『よく来てくれたね』と言っていただくことがありがたいです。」

移住後、一番苦労したことは「方言」だったという大悟さん。雅子さんに通訳してもらいながら覚えてきた方言で印象的だったのは、労働を“稼(かせ)ぐ”ということ。岩手では“野良稼ぎ”のように、仕事に精を出すことを “稼ぐ”と言う方言があります。
「横浜にいたときの感覚では、“稼ぐ”は“お金を儲ける”というイメージで、印象の良い言葉ではありませんでした。でも、作物をこの手で育てている今は、“働く”ことは“稼ぐ”ことだと、しっくりきます。実直さを表すはっきりした良い言葉だなと感じます。」

「お世話になった地域への恩返しのためにも、協力隊から就農へ、村の定住のモデルケースとなれるようこれからも二人で協力して頑張りたい。農業に慣れたら、また山ぶどう生産にも挑戦したい。」とこれからの目標を話すお二人。野田村に暮らす2/4000として、村と自分たちのために、これからも精を出して“稼ぐ”日々は続きます。

地域おこし協力隊卒業時の成果発表会の様子

Q&A

野田村の気候は?

冬の寒さは覚悟していましたが、しっかり着込めば冬の外作業もできました。内陸部の冬と違って、雪はほとんど降らず、この3年間で雪かきは数回しかしていません。夏も「やませ」の影響で涼しくて、冷房を使わずに窓を開けて過ごすことができたのですが、今年(2023年)の夏だけは暑くてそうはいきませんでしたね。

村外にでかけることは?

車で隣の久慈市に買い物に行ったり、映画を見るときは八戸市(青森県)に出かけたりします。(雅子さんの)実家の花巻市に帰省することも多いですが、どこに行くにも三陸道(三陸沿岸道路)が便利です。三陸道は無料ですし、釜石から花巻方面に向かう釜石自動車道(東北横断自動車道釜石秋田線)も、東和ICまで無料です。上京前に岩手に住んでいた頃に比べれば、交通網はとても便利になったと思います(雅子さん)

農業をしたい方にメッセージを

やっぱり「想像よりもずっと大変」ということは伝えたいです。作物についてしっかり勉強したつもりでも、その畑によって植えてみるまで結果は分からないものです。できれば研修を経験して、相談できる方を見つけておいた方がいいですね。そういう意味では、先輩からさまざまなサポートが受けられる地域おこし協力隊の制度はとても良かったです。大変なことも多いですが、出荷できるまでの品質に作物を育てられた時の喜びはとても大きいですよ。

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