一軒の古民家との出会いから始まった、
ふるさと遠野での新しい暮らし。
遠野市へ
Uターン
古屋弥右ヱ門
山田千保子さん
(遠野市出身 / 2008年に移住)
(2016年度取材)
古民家という文化を残したい
運命の出会いは故郷の遠野に
中学時代まで遠野市小友町(とおのし おともちょう)で過ごし、高校進学で親元を離れた山田千保子さん。宮城県の大学に進み、就職、結婚と40年近く仙台市で暮らしてきました。「遠野に帰るつもりはなかった」と笑いますが、一軒の古民家との出会いが山田さんの人生を変えました。
「主人は、リタイア後は農業をすると決めていました。最初は他県で家を探しましたがピンとこなくて…。岩手県内を探すなか偶然この家の前を通り、こんな曲り家が残っていたんだ!って。思わず隣家に飛び込み、持ち主の連絡先を教えてもらったんです」。
古民家をそのままの形で後世に残したい。山田さん夫婦が温めてきた思いは、この家を一人で守っていた家主のおばあさんの心に届きます。いよいよ2008年には遠野に拠点を移し、1年余りの時間をかけて水回りなどの改修をスタート。「あくまでも建物を基本にして、その空間に人が住むというのが私たちのスタンス。ではこの家の価値をどう伝えていくか考えていたとき、遠野に民泊協会があることを知り会員になりました」と山田さん。そこで教えられたのは「体験民泊」という旅のスタイル。旅行者を受け入れ、山田さん夫婦と一緒にこの空間での暮らしを体験するというものです。古民家は「古屋弥右ヱ門」(こややうえもん)という名で生まれ変わりました。
魅力的な遠野の風土や暮らし
古民家を核に「発信」する
時を経た道具の持つ美しさや心地よさに、若い頃から親しんできた山田さん。住まいの中には40年をかけて集めてきた器や調度品、家具などコレクションの品々が配置され、心地よい空間を生み出しています。
そんな山田さん夫婦の元を訪れるのは、古民家を残すという趣旨に賛同した全国のサポーター。何度も訪ねる人も多く、そんな彼らの紹介で新たな人が「古屋弥右ヱ門」を目指してこの地にやってきます。「私のもの選びはすべて直感。次に何をしたいかも、自分がいけると思ったら直感に従って始めます」。
3年程前からは、遠野で活動する若い世代に場所を提供し、手仕事や食など暮らしに関するイベントも開催。遠野の魅力を伝える試みとして定着しています。
古民家の価値や遠野の風土や暮らしを、さまざまな形で『発信』し続ける山田さん。根底にあるのは、「この場所での体験が、その人なりのライフスタイルを見つけるきっかけになれば」という願い。毎日が楽しいと感じられる暮らしこそが生きる意味になると、山田さん自身がこの家で深く実感しているからです。
改修後、再びこの家を訪れた家主のおばあさんは「こんなに人が出入りして愛される家になった」と、とても喜んだそう。家が人を呼び出会いが生まれる、大いなる循環がここから始まっています。
Q&A
移住で苦労したことは?
もともと天井のない構造ということもあり寒さが大分こたえました。昨年薪ストーブを入れたので少し解消されましたし、薪の炎を見ているとものすごく幸せな気分になりますね。
岩手の魅力は?
時間をかけて育まれたいろいろなものが今もたくさん残っているところ。そういう「ここにしかないもの」をアピールすることで多くの人を呼び込めるようになると思います。
移住希望者へのアドバイスを!
自分はこうしたいという「意志」をきちんと確認すること。そして気負わず、自分のライフスタイルにあったことから始めればいい。最終的には人とのつながりが大事です。