岩手県在住作家によるリレー掲載
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第19回 いつかまた来る(2023年3月)/柏葉幸子
東日本大震災以来、あのような震災がいつかまた来るのだと覚悟していた。
三陸沿岸は何十年かに一度、忘れた頃に津波の被害にあう。
私は岩手県の沿岸の町、宮古市で生まれた。宮古市は両親にとって新婚時代をすごした特別な町だったようだ。
宮古市の港近くに家を借りていたそうだ。ある日、津波警報が出た。私が生まれたばかりだったそうだから七十年も前だ。父は出張で前の日から帰っていなかったという。残された母は、乳飲み子の私をおぶり、父のズボンを二枚重ねてはき、小高い山の上にある神社まで、険しい石段をご近所さんといっしょに駆けあがったそうだ。新婚さんで生活にそう余裕もなかったのだろう。夫の仕事着のズボンを死守するいじらしい新妻だったらしい母のこの話が私は好きだ。
知人のお父さんは、チリ地震津波で財産をほとんど失くした。娘には無くならない財産を残してやりたいと言ったという。彼女は英語の教師になった。子を持つ親として、そんな財産を残してやれればと思った。
今年の元旦、私の住む盛岡市も変に揺れた。テレビを見て声もでなかった。能登に来たのか! まだ忘れていなかったのに!
東日本大震災の時のような思いをする人がまたいる。誰のせいでもないことはわかっている。でも、どうして私がこんな酷いめにあわなきゃいけない。悪いことなど何もしていないじゃないかという、どこへぶつけたらいいのかわからない、胸にくすぶるやりきれない思いだ。
日にち薬なのだろうか。時が痛みを薄れさせてくれるのを待つしかないのかもしれない。
東日本大震災の後、外へ逃げ出せるようにあまり着古したパジャマはやめることにしていた。また些細なことだけど覚悟を新たにした。ベッドの下に靴と靴下を置いた。ガラスが散乱して歩けなくなると聞いたからだ。瓦礫に閉じ込められた際に鳴らせるように百円ショップで笛もさがした。
真っ赤なかわいい笛を買い、こんなものが必要なければいいと願った。でも、いつかまた来るのだ。