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第18回 ナリキ(2023年12月)/柏葉幸子

弟と花巻にある実家仕舞いをしている。一か月に一度行けたらいい方だ。なかなか終わらない。

十月に帰ったら庭の柿がたわわに実っていた。もったいないので、もいで帰ろうかと思ったのに、弟は、「どうせ渋柿だ」と、もぐ気配はない。私一人では高い所など手も届きはしない。まして柿の木は折れやすい。手の届くところで何個かもいだ。

祖父はナリキといって、果物がなる木が好きだった。一応町中で、そう広い庭でもないのに、柿の木が二本、栗、梅、葡萄は黒と赤とあった。『成木』と漢字で書くのかもしれない。

「阿部さんのおばあさんが、死ぬ前に柏葉さんのとこの赤葡萄が食べたいと言った」というのが祖父の自慢だった。

赤葡萄はデラウェアだったろう。私も種を出さなくていい赤葡萄が好きだった。

梅もなったが、祖母は梅酒ばかり作っていた。梅干は作らなかった。梅干作りを失敗するとよくないことが起こると言う。祖母は、うっかり者だったから黴させでもして、よくないことが起こったのかもしれない。

二本ある柿の一本分は渋柿のへたを焼酎につけてダンボール箱に密閉して渋をぬいた。二週間ぐらいかかったろうか。渋がぬけるのを待つのが楽しみだった。もう一本の柿は皮をむいて干し柿を作った。柿の種類がちがったのだろう。

家の柿を思う存分食べて育ったせいか柿が好きだ。

家に帰って、もいできた柿を焼酎がなかったのでへたをブランデーにつけてジップロックで密閉してみた。

いつか温泉でいっしょになった北海道の人が、毎年この時期に花巻の温泉に泊って渋柿を買って帰ると言った。北海道には渋柿はないので、帰って干し柿を作るのだと言う。あの人は今年も渋柿を買いに来ただろうか?

農家の友は熊が出るので柿をあわててもいだと言っていた。

熊と争おうが、ナリキは楽しい。祖父の気持ちが今になってわかる。でも、ブランデーの柿に黴が出た。

「おがすねどごばり似る」

へんな所ばかり似ると、祖母がため息をついていそうだ。

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