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第8回 黒森神楽(2022年2月4日配信)/柏葉幸子

三年前の二月、岩手沿岸の普代村で黒森神楽の巡業を家族で観た。その後、午後3時頃車で出発して、九戸インターから東北自動車道に乗り、青森県の八戸市で一泊する予定だった。

インターのあるおりつめの道の駅に着いた頃、あたりはもう暗かった。

ホテルは朝食だけの予約で、ホテルにチェックインしてから外食のつもりでいた。でも、これから一時間も車にゆられ、ホテルに入ってからまた外へでかけるのは億劫になっていた。かといって、ホテルのレストランは今までの経験から朝食はともかく、夕食となるとあまりいただけない。

おりつめの道の駅にお弁当やお惣菜が並んでいた。種類も豊富で美味しそうに見えた。これを買っていってホテルで食べることにしようとなった。

天ぷらの盛り合わせが美味しそうだった。

「お醤油はついているの?」

そばにいた店員さんに聞いた。

「いいえ。ついていないんですよ」

若い男の店員さんは、首をふりながらも、とてもいい笑顔で私に答えてくれる。

「それじゃ、お醤油を買っていこうかな」

という私を、お醤油の棚まで親切に案内してくれて、

「こんなに大きいのしかないんだ」

というと、にこにこしながらあれこれ探しまわってくれた。

おにぎりやお惣菜をもってレジに並んだ。レジにいた若い女の店員さんも、それはにこにこと対応してくれる。

なんて愛想のいい人たちなんだろう。やっぱり笑顔ってすてきだ。ロボットみたいに、決められたセリフを無表情に繰り返す若い人、いや若い人ばかりではないか、そんな人に応対してもらうよりずっと気持ちがいい。

店員さんたちの笑顔にすっかりなごんだ私は、車に乗る前にトイレを借りた。トイレの鏡に映った私の眉間にべったりと「しっとぎ」がついていた。

神楽が始まる前、外で舞い込みというのがある。ひょうきんな舞手が一人いて、おまる(木でできた携帯便器。もちろん未使用)の中から、観客にお菓子をくばり、米の粉を水でといた白いのりのようなものを眉間に塗ってくれる。それが「しっとぎ」だ。お守りのようなものだと思う。たいてい神楽を観ている間に乾いてぱりぱりとはがれていくのだが、残っていたらしい。

私の「しっとぎ」を見て笑いたかったんだとわかった。言ってくれたらよかったのに。きっと、「しっとぎ」をつけたままお醤油を探す私は滑稽だったのだろう。他の家族三人だって「しっとぎ」をつけてもらったのに、とれていたらしい。私の「しっとぎ」に気がつかない家族も家族だ!と思いながら、にこにこしていた店員さんたちに、ばかにされたとかいういやな感情は抱かなかった。

「しっとぎ」をつけてもらうと、一年まめしくいられるような気がする。

子どもの頃、お正月に獅子舞が来た。家の前で踊ってもらいお獅子に頭をかんでもらう。

「これで一年まめしくいられる」

年寄りたちはそういった。「まめしい」とは、病気をせず元気でいられるという意味だ。今、獅子舞は来ない。私の獅子舞がわりが「しっとぎ」だ。

宮古市の黒森神社のお神楽は、春を呼ぶ神楽といわれ二月半ばに巡業がある。一年ごとに北廻り、南廻りと巡業して歩く廻り神楽だ。厄払い家内安全等を祈願する。

神楽衆を泊めて、近所の人たちにお神楽を見せてくれる家を神楽宿という。沿岸の新築した家とかはお神楽を頼むそうだ。

今はホテルが神楽宿をしてくれたりする。何年か前まで盛岡の繋温泉のホテルが神楽宿をしてくれていた。それがなくなったので、我が家は、今年は北の岩泉だ、今年は南の遠野だと巡業先へ追いかける。三年前は北廻りで巡業先が普代村だった。泊れる施設ではなかったので八戸まで足をのばしたのだ。

どの演目も面白いが私は「松むかえ」が好きだ。舞手の二人が舞台せましと踊りまわる。笛と鉦と太鼓の単調なリズムにあわせて、くるくると体をまわし飛び上がる。あの二人は神に何を祈るのだろう。いつもシャーマンのようだと目をうばわれる。きっと神が降りてきているのだと思う。あまりに好きで「湖の国」という私の物語に使わせてもらった。

ストイックな踊りを楽しむ演目もあれば、能や狂言のような物語のあるもの、観客を巻き込んで楽しむ演目もある。真っ赤なブラジャーの八岐大蛇が観客席をかけまわり、しなだれかかったのはうちの夫だった。笑い声で会場が膨れ上がっていく。

コロナで今年も巡業はない。つまらない。眉間の「しっとぎ」がパリパリと乾くあのくすぐったい感覚を忘れてしまいそうだ。

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