家業である漁師を継ぐためにUターン、
失敗を繰り返しながら仕事を学ぶ日々
普代村へ
Uターン
漁師
宮本英紀さん
(普代村出身/2017年に移住)
岩手県普代村出身。久慈工業高校を卒業後、埼玉県の陸上自衛隊に入隊。27歳の時に地元にUターンし、家業である漁師を継ぐ。定置網漁を行うほか、わかめ・昆布の養殖も手がけている。(2020年度取材)
自分の裁量を試す仕事として
「漁師」という選択肢があった
「小さい頃から手伝いをさせられていましたが、漁師はあまり好きじゃなかったんです」と苦笑いする宮本英紀さんは、今年4年目になる新米漁師。定置網漁のシーズンには、深夜2時か3時には起床し、仲間と一緒に闇に包まれた海へと出航します。
高校を卒業後、憧れだった陸上自衛隊に入隊した英紀さんは、約9年間、埼玉県の駐屯地に勤務。規律正しくハードな自衛隊生活で心身ともに鍛えられ、やりがいも感じていましたが、キャリアを積み重ねるうちに頭をもたげてきたのが将来のこと。このまま自衛隊で昇進していくか、それとも普代村に帰って漁師を継ぐか。2つの選択肢の間で迷っていましたが、27歳の時にUターンを決意し、自衛隊を退職しました。 「家業を継ぐのが一番の目的でしたが、漁師は自分の裁量が試される仕事。新しい仕事に挑戦してみたいという気持ちが強くなったんです」と、英紀さん。自衛隊での日々を思えば、どんな仕事でも乗り越えられる自信があったと言います。とはいえ、漁師を本格的にやるのは初めて。漁具の扱い方、ロープの結び方、網の管理など、わからないことがあれば父親や周囲の先輩漁師に教えを請い、いろんな人のやり方を実践で繰り返すことで、仕事を覚えていきました。
「漁師の仕事はマニュアルがあるわけではないので、とにかくやって覚えるしかない。体が自然に動くまで、回数を重ねることが大事」と、話します。最近は新規就業者向けの様々な研修制度もありますが、英紀さんの場合は独学と実践。現場での学びの中で、着実に仕事を身につけていきました。
Uターンして改めて気づいた
故郷の人々の優しさとあたたかさ
普代村の黒崎沖は、三陸の中でも資源の豊富な漁場として知られ、英紀さんの家の近くの太田名部漁港は水揚げの中心港。定置網漁ではサケやマス、サバ、イワシなどが水揚げされるほか、昆布やわかめの養殖も盛んです。
宮本家の場合も、定置網漁と昆布・わかめの養殖が主な仕事。英紀さんは、普代村漁協が組織する定置網漁に属して給料をもらっていますが、まだまだ勉強中の身。一方、養殖は宮本家個人の仕事で、一人でも一通りできるようになってきたと言います。「自分なりの工夫や努力が、成果となって現れるのが漁師の面白さ。技術が上がったり、生産量が上がると楽しいですし、もっと頑張ろうという気持ちになります」と、英紀さんは手応えを感じています。
プライベートでは、高校時代からの知り合いだった同い年のあゆみさんと2018年に結婚。翌年には長男の英吉くんが誕生し、新しい家族が増えました。生まれ育った地元に対する愛着はあるものの、不便なことばかりに目が向いていたという英紀さん。しかし英吉くんが生まれことで、隣近所の人たちが見守る中で子育てができる安心や普代村の人のあたたかさを改めて感じるようになったと言います。
「最近は復興道路も整備されて、暮らしの環境も充実してきました。もうすぐ2人目の子どもが生まれるので、時期が来たら新しい家を建てたいなと思っているんです」。地元に戻って新たに築いた家族との暮らしに、楽しい夢がもう一つ加わりそうです。
Q&A
漁師の暮らしについて教えて!
5月~2月は定置網漁の船に乗り、2月後半からは昆布・わかめの養殖に取り掛かります。定置網漁のシーズンは、深夜2時に起きて3時に出航、5時頃に帰港して魚の選別をして8時に入札。その後はみんなで網の修理作業などを行い、午後は自分の家の養殖作業を行います。
どんな制度を利用しましたか?
新たに漁業に就く人を対象とした普代村の漁業活動支援金を活用しました。私の場合は「漁家子弟」にあたるので、初年度は月5万円、2年目は月3万円のサポートを受けました。
漁師を目指す人にメッセージを!
普代村にも新たに漁師になったIターンの人がいます。新規就業者向けの「いわて水産アカデミー」など漁業の基礎を学べる研修制度がありますし、村でも活動資金の支援や家賃補助などがありますので、興味のある方はぜひ挑戦してみてください。