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移住コーディネーター

“故郷”の安心感を息子にも。 
家族と共に20年ぶりのUターン

釜石市へ
Uターン

会社員

菅野祐太郎さん

(釜石市出身/2022年3月移住)

釜石市出身。釜石市内の高校を卒業後、陸上自衛隊に入隊し、千葉県の習志野駐屯地に配属。除隊後、神奈川県近郊で運送業などに従事。2021年に前居住地である神奈川県横須賀市在住中に転職活動を始め、産業振興株式会社の釜石事業所に転職。2022年3月に家族3人で釜石市へ移住。(2022年度取材)

発達支援を必要とする息子に
都会の便利さより、身近な自然を

釜石市出身の菅野さんは、この春(2022年)、20年ぶりに故郷での生活をスタートしました。
両親はすでに釜石を離れているという菅野さん。それでも、「実家がなくなっても、震災が起こっても、自分の帰る場所は釜石だ」と、ずっと思い続けていたと言います。
「自分の育った町には言葉にできない安心感がある。自閉症の息子も、その安心感と自然の中で育ててあげたい。」菅野さんのその思いを、釜石市の充実したUターン支援制度が後押ししました。

子ども時代、家でゲームするよりも、川で生き物を取るなど外で遊ぶのが好きだったという菅野さん。小学3年生からは野球を始め、高校では、“北の鉄人”新日鐵釜石の活躍で人気の高かったラグビーに打ち込みました。
高校卒業後は、子どものころ、雲仙普賢岳(長崎県)の噴火災害救助のニュースを見てから目標にしてきたという陸上自衛隊に入隊し、習志野駐屯地に配属。新潟中越地震の災害派遣など3年間の活動を経て、除隊後は関東に残り、自衛隊で得た運転資格を生かして運送業に就きました。
「運送以外にも、不動産営業や、工場作業員などいろいろやりました。いずれ釜石に戻った時に、どんな仕事でも対応できるように、色んな経験をしておこうと思っていたからです。」
その言葉通り、鹿児島県出身の奥様にも、交際前からいずれは釜石に戻ることを宣言。菅野さんのご両親も仕事の都合で神奈川県で暮らしていたため、すでに釜石に実家はありませんでしたが、結婚前も、そして結婚後も、年に1・2回、釜石市内のホテルに宿泊しマチを見て回ることが、大切な行事になりました。

菅野さんがUターンに向けて活動を始めたのは2021年。息子さんの小学校入学を翌年度に控えたタイミングでした。発語がなかなかなかったという息子さんは、3歳の時に自閉スペクトラム症の診断を受けたそうです。
「過去に仕事で、障害のある方々が作業する就労継続支援の事業所に出入りしていたこともあり、サポートしてくれる方々がいること、適切な支援が受けられれば居場所は作れることを知っていたので、診断にそこまで憂いはありませんでした。この先、発達支援を受けるには、選択肢の多い都会にいた方がいいのかもしれない。でも、多少不便でも、息子には、自然の中で過ごしてほしいなと思いました。」

そこからは、相談できるところは、なるべく頼ったという菅野さん。当時住んでいた横須賀市内のハローワークで釜石への就業相談をしたり、釜石市には、暮らしの相談だけでなく支援学校への進学やデイサービスの相談もしたりしました。そして、2022年2月に、日本製鉄株式会社北日本製鉄所釜石地区構内に事業所を構える産業振興株式会社の釜石事業所への就職が決定。入学を目前に控えた3月に、家族3人で釜石に移住しました。


家族との休日の様子

 

釜石はやっぱり「鉄と魚とラグビーのまち」

20年ぶりの釜石での暮らし。市の中心部には大きなショッピングセンターや、市民ホールなどの公共施設が集中し、コンパクトで暮らしやすくなったことを、まずは実感したと言います。
そして、転職をしたことで、不規則だった勤務時間が土日祝休みになり、定時退社もできるようになりました。
「以前は片道40分かけていた通勤が、今では10分になりました。朝食と夕食を家族一緒に取れるようになったのが嬉しいですね。休みの日は息子と公園に行くことが多いです。大きな公園は人が多いですが、近所の公園はほとんど人がいないので、気兼ねなく遊んでいます。こちらにきてから、虫を見つけたり触ってみたりと、好奇心も刺激されているようです。」

住居は、家賃こそは横須賀市にいた時とあまりかわらないと言いますが、広さは40㎡のアパートから120㎡の2階建ての戸建てへと、約3倍に。
「市独自のU・Iターン補助金で、賃貸物件の家賃補助や子育て支援がありました。県の移住支援金も、釜石市独自に“出身者”という関係人口要件を設けていて、そちらに該当して支給対象となることができました。支援金は、釜石にきて自炊の機会も増えたので冷蔵庫の購入費に充てました。」
休日は、家族で道の駅や産直に行き、地場産品を買って料理することが楽しみになっているという菅野さん。米や海産物といった基本的な食材のおいしさを改めて感じていると言います。そして、息子さんと一緒に楽しんでいるのが、パンやピザ作り。お店でトッピングとなる食材を選ぶのも、親子の良い時間になっているそうです。

“鉄”に関わる仕事に就き、新鮮な“魚”を味わう釜石の生活を、さらに充実させているのが“ラグビー”。関東にいた時も、関東社会人リーグ2部に所属するチームのメンバーとして、ラグビーを続けてきた菅野さん。プレーヤーとしては一区切りつけたそうですが、ラグビー愛は健在です。
「釜石鵜住居復興スタジアムで、家族でラグビー観戦をしました。釜石にはラグビーユニオンクラブ“釜石シーウェイブスRFC”があって、ジャパンラグビーリーグワンも観戦ができます。息子も天候の良い時は、最後まで試合を見続けました。興味を持ってくれたのかもしれませんね。」

これからもずっと釜石で暮らし、この場所で息子が成長するのを支えたいという菅野さん。
「父はすでに亡くなり、母は神奈川で一人暮らしをしていますが、いずれは釜石に戻りたいと言っています。その時には、家はあるから安心して戻ってきて、と言いたいですね。」
釜石で、菅野さんの家族の物語はつづきます。

 
(左)魚河岸テラスの水槽の前で (右)デイサービスでの様子

Q&A

利用した相談窓口や支援制度は?

最初は、岩手県全体の移住相談窓口に電話しました。釜石へのUターンを希望していると伝えると、その日のうちに、釜石のコーディネーターの方から連絡をしてもらえました。釜石市はイオンタウン釜石内に「しごと・くらしサポートセンター」を設けていて、移住も仕事もここで相談できます。
私が利用した「釜石市ライフデザインU・Iターン補助金」は、賃貸物件への入居だけでなく、住宅の購入や持ち家のリフォームも支援してもらえます。また、18歳以下の子どもだけでなく、単身女性にも手厚い内容になっています。

久しぶりに釜石で暮らして驚いたことは?

やっぱり食べ物のおいしさですかね。特にワカメやめかぶは、三陸の激しい海流にもまれて育っただけあって、おいしいです。あとは、あまり良いことでないかもしれませんが、鹿が増えましたね。「ここは奈良かな?」と思うくらいに街中でも見かけるようになりました。息子は鹿に出会うと、まじまじと見つめています。近隣では鹿肉加工品、鹿角・鹿革加工品など新しい産業も生まれているようです。うまく共存できると良いですね。

移住を検討している人にメッセージを

都会と比べれば、交通手段がなかったり、娯楽が少なかったりと「足りない」と感じる部分は当然あると思います。足りないことを意識せず、それが当たり前と思って、自分なりの暮らし方や楽しみ方を見つけられると良いと思います。

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