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移住コーディネーター

and iwate

自然と共に生きた先人たちの気骨
移住を決めた洋野の「かっこよさ」

洋野町へ
Iターン

株式会社北三陸ファクトリー 営業部ブランド推進室

星 空之介さん

(神奈川県出身/2022年移住)

神奈川県横浜市出身。東海大学教養学部在学中に、復興庁主催の「復興・創生インターンシップ事業」に参加し、洋野町の株式会社北三陸ファクトリーのインターン生として活動。卒業後、株式会社北三陸ファクトリーに就職し洋野町に移住。現在は、営業部ブランド推進室に所属。(2022年度取材)

東北が、訪れる場所から帰る場所に

岩盤地帯でできた浅瀬が10数キロも続く洋野町種市の海岸。干潮時になると、幅は4m、長さは100~120mにもなる溝が約100本も現れます。まるで古代遺跡のようなこの光景は「増殖溝」。50年以上前から洋野で続く人工的なウニの住処です。株式会社北三陸ファクトリーは、この増殖溝を「うに牧場®」と名付け、高品質なウニの安定した供給を続けています。
2022年春に大学を卒業し、北三陸ファクトリーに就職した星 空之介(ホシ ソラノスケ)さんは神奈川県横浜市からのIターン者。このうに牧場について、目を輝かせて話します。
「うに牧場は、洋野の漁師のみなさんの技術と矜持の結晶です。海産物が育ちにくかった平坦な岩盤を逆手に取って、世界で唯一の増殖溝を造り、今では本州一のウニの産地になりました。洋野には、厳しい環境でもこの土地で生きていくための先人たちの工夫がたくさんあります。それが本当にかっこよくて、自分はこの町で暮らしたいと思うようになりました。」

“空之介”という伸びやかな名前をつけてくれたお父さんは福島県出身。星さんが自分のルーツでもある東北を意識し出したのは小学校5年生の時。東日本大震災津波がきっかけでした。
東京電力の社員であったお父さんは、発災2日後には福島第二原子力発電所へ。「今の東北を見ておかなければならない。」というお父さんの思いから、震災から半年後に、家族で宮城県気仙沼市を訪問します。
「何もかもが流されてしまったその光景を見て、自然の力の恐ろしさ実感しました。その一方で、前を向いて頑張る地元の方々のパワーも感じました。たくましい東北人の血が、自分にも半分流れていることを嬉しく思ったのを覚えています。」

自然科学を学ぶために東海大学教養学部へ進学した1年生の冬、復興庁が主催する「復興・創生インターンシップ事業」に参加し、初めて洋野町を訪問することに。インターン生として北三陸ファクトリーに所属し、教育プログラム「北三陸うみの学校」のフィールドワーク設計に携わります。
初めての就業体験で、楽しさよりも大変さの方がずっと勝ったという1カ月間。それでも、「メイド・イン・北三陸を世界ブランドにしたい」という北三陸ファクトリーの気概に惹かれ、1年後、社長に会いに再び洋野町を訪問します。
「1年ぶりに来た自分に、町のみなさんが“お帰り”と言ってくれました。震災以降、毎年、東北を訪問するようになり、東北で何かしたいと思っていた自分にとって、東北に帰る場所ができたのが嬉しかったです。まだ大学2年生でしたが、卒業後はこの町に住みたい、この会社で働きたい、という気持ちを、社長に直談判しました。」

大学2年生の冬、代表取締役 下苧坪之典さん(右)との再会時の写真

 

時に厳しい自然の変わり様は人の心に似ている

2年後、約束通り北三陸ファクトリーへの入社を果たした星さん。現在居住する市街地にあるアパートは、洋野町の移住の相談窓口である「スタンド栞 ひろのとつながる案内所(運営:一般社団法人fumoto)」で紹介してもらいました。
「港にある職場までは徒歩15分ほどの近さです。でも会社には従業員用の駐車場もあるので、寒い季節はつい車で通勤してしまいますね。」
会社では営業部ブランド推進室に所属。個人消費者向けにSNSなどで情報発信をしたり、全国各地で行われる販売会に出展したりし、北三陸ブランドの魅力を広めています。

休日の楽しみは、子どものころからの趣味である釣り。
「クロソイやアイナメなどが釣れます。自分で捌くこともできますが、磯で釣るものはまだ成長しきっていない魚がほとんどなので、食べずにリリースしています。大学で環境問題を学んでいたときは、公害や地球温暖化などパブリックな感覚だったのですが、地方で暮らすと、誰もが環境保全に関わる実践者の一人なのだということを感じますね。食材の買い物も、なるべく地元産のものを買うようにしています。」

洋野町の人と自然が大好きになり、自分が住む町に選んだ星さん。冬は水道管の凍結を避けるため毎日水抜きをしたり、夏はやませの影響で盛夏の実感が得られなかったりと、移住後の生活には、それなりに苦労もあるそうですが、その苦労も含めて、洋野町が大好きだと言います。
「海は、穏やかなときもあれば荒れるときもある。環境も、心地よいときもあれば厳しいときもある。その有り様は人の心のようで、自然と共に生きていることを実感します。厳冬期の寒さや、やませがもたらす冷夏など、厳しい側面もありますが、その中でウニの増殖溝の開発だったり、出稼ぎを解消するための地場産業「大野木工」の興隆であったりと、この土地で生きるための先人たちの奮励の歴史を、心から尊敬していています。この骨太な洋野町のかっこよさを、仕事でもプライベートでも、自分のような若い世代にも広めていくことができたら嬉しいですね。」

町民が大漁旗を振ってレストラン列車の乗客を歓迎する活動「洋野エモーション」にも参加

Q&A

同世代におすすめする洋野の楽しみ方は?

山でも海でもいろいろな楽しみ方ができます。山であれば、日本一星空が見やすい場所に選ばれた「ひろのまきば天文台」で満天の星空を楽しんだり、秘湯「大谷(おおや)温泉」に入ったり。海は、洋野と言えばやはりサーフィンですし、最近はSUP (スタンドアップパドル)も人気です。
個人的には、おいしい居酒屋さんが多いので、お店巡りを楽しんでほしいです。鮮魚はもちろん、唐揚げがおいしいお店が多いですね。私は「イカの腑焼き」で日本酒を飲むのも好きです。店内が見えないとドアを開けるのに抵抗があるかもしれませんが、みんな優しく迎えてくれるので、勇気を出して飛び込んでみてください。

洋野町との関わり方は?

“ヒロノジン(洋野町にゆかりのある人々)がゆるやかに繋がるようなきっかけづくり”のWebサイトとして「ひろのの栞」が運営されています。交流イベントなども定期的に開催されています。
あとは、私は会社の広報用に、ウニ漁やイベントの様子などをインスタグラムで発信していますし、個人のアカウントでは洋野での釣果などを発信しています。SNSを見るだけでも、町の様子が感じられると思います。

・北三陸ファクトリーインスタグラム:@kitasanriku.factory
・星 空之介インスタグラム:@sora74starrrrrrr

Iターン検討者にメッセージを

やっぱり移住先となる地域を好きになることが一番だと思います。そして、「この町が好きだから、この町に住みたい!」という思いを、ぜひ声に出してほしいです。小さい町であれば、その声は方々に届きやすく、私は社長にも、町長にも、移住したい思いを伝えていました。そうするうちに、移住を応援してくれる方々との繋がりができると思います。

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