「岩手で何ができるか」が
今の自分にとっての挑戦です。
盛岡市へ
Uターン
マスコミ
小野寺陽子さん
(奥州市出身)
奥州市胆沢出身で、筑波大学を卒業した後、大手新聞社に就職しました。最初の赴任地は和歌山。福井に転勤後、東日本大震災が発生し、ふるさと・岩手担当として仙台の東北総局に配属されました。記者として約2年、震災と向き合う中で、誰のために仕事をするのか、何のために記事を書くのかということをより考えるようになったんです。そして思い至ったのは、結局どこの地方都市で取材をしても、記事を書くのはどこかの誰かのためじゃなく、一緒に生きる地域の人たちのためなんだ、ということ。だったら自分がやりたいことは岩手でもできるんじゃないかと思いました。そんな思いから転職を決意。2013年に岩手日報に入社しました。今は記者ではなく総務企画部という部署で働いています。
地元に戻ってきて、自分でも気づいていなかった魅力を見つけられたような気がします。高卒時に地元を離れたので視野も狭かったのかも知れません。大学を出て、その後はいろいろな地域で暮らしてきました。違う環境や文化に触れたことで、改めて「故郷って大事な場所なんだな」と再確認した感じです。私自身の中で一番変わったのは時間や季節の感じ方。例えば夕方、ゆっくりとオレンジ色から濃紺へと移り変わる空の色や、春に水田に張られた水に山々や緑が映るといった素朴な風景に足を止めるようになりました。働き始めてから忙しくて見過ごしてきた何気ないものへの愛着。時間と自然と人はちゃんとリンクしているんだと、そんな当たり前のことに、岩手は気づかせてくれました。昔、記者仲間に「ふるさとと呼べる場所があっていいなあ。私は家に帰るという感覚はあるけれど、地域への愛着はないから」と言われたことがあります。生まれた環境でこんなに考え方が違うのかと衝撃を受けましたし、おおらかさの中で私を育んでくれた岩手に感謝しています。お金には換算できませんが、人間が生きていく上で根っこになるような豊かさを感じる機会は、岩手にはたくさんあります。
Uターンしてくる人が何を求めているかにもよりますけど、「挑戦」という視点に立てば、それはどこでもできると思うのです。都市部で働いていたって、岩手で働いていたって、自分の可能性が狭まる時代じゃないと思います。ちょっと前までは東京に出る、広い世界に出ることが挑戦だったと思うんですけど今は逆ですよね。この岩手で何ができるかっていうのが挑戦。Uターンしてくる人には、それを機に今までのネットワークを切り捨てるのではなく、むしろ都会で得た種を持ち帰って、岩手で開花させてほしい。私自身、「岩手に帰ってきた」というよりも、「岩手を選んだ」という感覚が強いのです。