太陽の下で働き、汗をかく。
四季を感じながら、ぶどうを育てたい。
紫波町へ
Uターン
AKALA FARM ぶどう農家
百済和至さん
(花巻市出身 / 2011年に移住)
(2016年度取材)
「正直になれるものづくり」を求め
アパレルショップからぶどう畑へ
紫波町(しわちょう)は、豊かな緑と肥沃な大地に恵まれた農業のまち。なかでも東部地域は、丘陵をいかしたぶどう栽培が盛んです。ここで果樹園「AKALA FARM」(アカラファーム)を営む百済和至さんは、紫波町の南隣・花巻市(はなまきし)の出身。東京の人気アパレルショップで働いていましたが、2011年8月にUターンしました。
「憧れのショップで働くことにやりがいを感じていましたが、『いいもの』より『会社が売りたいもの』が重視されがちなことに割り切れない気持ちがありました」と百済さん。「既製品を売るのではなく、自分でモノを作りたい」という思いが膨らみ2011年3月に退職。インターネットで工芸や農業、漁業の就業支援について調べるうち、ぶどう栽培に興味を持ちます。
「『自分が正直でいられるものづくり』と考えたとき、一番しっくりきた選択肢が農業。野菜よりも嗜好品的な果樹がいいと思い、その中からぶどうを選びました」。はじめは山梨や長野などの一大産地で研修を受けたいと考えていましたが、紫波町でも研修生を募集していると知った百済さんは、説明会や面接に足を運び、紫波のぶどう産地としてのポテンシャルを確信。「ここでならしっかり学べる」とUターンを選択します。こうして31歳の夏、花巻の実家から紫波のぶどう畑に通う研修生活が始まりました。
収穫を心から喜べる
「正直なものづくり」を続けたい
7ヶ月間の研修が終わっても、紫波町に残り「見習い」を続けたいと考えていた百済さん。そんなとき「ぶどうを辞める人がいるから、その畑を使わないか」と声をかけられ、思わぬ転機が訪れます。「独立はまだ早い」と迷いましたが、研修先の生産者さんに「まずやってみろ。わからなければ聞けばいい」と背中を押され一念発起。2012年6月に「AKALA FARM」を開業、さらに同年、研修中に知り合った女性と結婚。町内に住まいを借り、地域での暮らしをスタートさせました。
それから4年。百済さんの農園では現在13種のぶどうを栽培。関東を中心に口コミで顧客を増やし続けています。農閑期の冬はスキーパトロール隊員として花巻市のスキー場に勤務。自然を感じ、太陽の下で働く「すごく人間らしい生き方」をするなかで、同世代との職種を超えた交流も広がりました。「みんな紫波をもっと楽しくしたい、という思いを持っていて、アクティブ。刺激を受けます」と話します。
「今は仕事が趣味のようなもの。特に収穫期の今、実をつけたぶどうが畑に並ぶ風景は、見ていて飽きません」と百済さん。若きぶどう農家の挑戦はまだこれから。「愛情を持って手をかけたぶん、ぶどうはちゃんと応えてくれる。心から収穫を喜べるものづくりを、これからも大切にしていきたい」と語ってくれました。
Q&A
移住を楽しむコツは何だと思いますか
田舎で暮らすなら、地域の人と積極的に関わったほうが絶対に楽しいです。誰とでも挨拶する、他人に興味を持って関わり、どんどんコミュニティの中に入っていくことが大事だと思います。
開業にあたり、利用した制度はありますか
「青年就農給付金 経営開始型」を申請しました。経営が安定するまでの最長5年間、給付が受けられるもので、市町村が窓口になっています。ほかに就農希望者向けの「準備型」もあります。
紫波町のお気に入りの場所はどこですか
うちのぶどう畑。丘陵地にあるのですが、てっぺんから見渡す景色がすごくいいんです。友だちが訪ねてくると、よく案内しています。「これ持って行って」とさりげなく畑のぶどうをあげたりしてね(笑)