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岩手県在住作家によるリレー掲載

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第9回 太田山(2022年3月4日配信)/柏葉幸子

盛岡市の遺跡の学び館の前を通った。盛岡駅からは北上川にかかる橋を渡り、橋の出口にあるトンネルを通る。そのトンネルの上から遺跡の学び館の敷地までゆるい大きなスロープになっている。雪が積もる今、親子づれがそり遊びをしていた。あのスロープはなんと呼ばれているのだろうと気になった。

何十年も前。私は独身だったし、友達は結婚していたけれど子どもはまだいなかった。その友達が姪をつれて遊びにきた。姪っ子さんは、小学校の中学年だったろうか。

「お父さん、四輪駆動の新車を買ったんだ。私のことを学校へ迎えにきた帰り、その車で太田山に登ったんだよ。恥ずかしくて」

と言った。

私も友達も、何が恥ずかしいのかわからなかった。

「四輪駆動車だから山にも登れるって、みせたかったんじゃないの」

と、私たちはそれですませた。太田山がどこにあるかを聞かなかった。

娘ができて、たいていの小学校の校庭に小山があることに気がついた。高さが二メートルほどだろうか。両端がゆるいスロープになっている。冬になって雪がつもると、体育の授業で子どもたちがそこでスキーをする。

友達の姪の小学校は太田小学校だった。その小山を子どもたちは「太田山」と呼んでいたらしい。校庭にあるその山に四輪駆動車で登ったお父さんが、娘はそりゃ恥ずかしかったろうと何年もたってから笑ってしまった。

小学校でスキー遠足がある。私が子どもの頃だってあった。でも、学校の体育の授業でスキーをすることはなかった。

今は体育の授業でスキーをする。雪の積もった校庭にあるその小山を、スキーをはいて登り、すべりおりる。一年生から学校へスキーをもって通う。

「ご家庭で、スキー靴の脱ぎ着ぐらいは教えてあげてください」

と学校からお達しがあった。

夫婦とも岩手の生まれだ。子どもの頃はスキーだってした。夫は、

「オレは遠野のトニー・ザイラーだ」

と言った。知っている人の方が少なかろう。スキー映画というのがあって、トニー・ザイラーはスキー選手から映画スターになった。とにかく大昔のスキー選手だ。夫も大昔のトニー・ザイラーだった。何十年ぶりに履いたスキー靴に一度で音を上げた。ガンダムの足みたいな靴だ。夫は、はやばやとスキー場への運転手と荷物運びとなった。

私は寒い所は嫌いだ。つるつるすべる所など、とんでもない。夏だって山へなど足をむけようとは思わない。まして雪山だ!まず問題は、体を動かすことが嫌だ。一日、こたつにもぐっていろ!といわれたら、一日どころか何日でももぐっていられる。こたつにもぐって冬しか仕事をしない私を、担当編集者は、

「この、こたつ猫!」

とののしった。豚だったかな?いや、そこまで失礼ではなかったと思いたい。

その私が、娘が小学生の頃、娘とスキー場に通った。スキー靴の脱ぎ着ぐらい教えなければ!親の使命に燃えたのだ。雪が真横からふきつける日に、スキーリフトに乗った。スキー板がはずれて、山をてくてく降りもした。今さらながら、母親ってすごーい!と自分をほめてやりたい。

体力的なことばかりではない。スキーの授業は金銭的にも一大事だ。

毎週通う土日ジャンボ市が、お盆より年末より混み合う時がある。中古スキー市が開かれる十一月だ。

市場の入り口に家族連れの長い行列ができる。子どもの成長は早い。いくら長めのスキー板を買おうが、ぶかぶかのスキーウェアを買おうが、小学校の六年間に一度は、いや二度買い替えなければいけないこともある。兄弟がいればお下がりもあるし、知り合い同士でスキー板をやったりとったりもするが出費はかさむ。

北京オリンピックに出場する選手を見るたびに、それぞれの太田山で練習したんだろうなぁと思う。子どもの頃の太田山があって、今があるのだろう。親の努力もきっとある。私みたいにいやいや練習につきあった親だっていたはずだ。活躍し記録を打ちたてる選手に、

「親ってすごーいんだぞ!」

といってやりたい。

あんなに苦労したのに、今、娘も私も、もちろん夫も、スキーをするつもりはさらさらない。あの雪が凍りついた傾斜を滑り降りたことがあるなど自分でも信じられない。

遺跡の学び館のそり遊びを、そんなことを思い出しながらボーっと見ていた私に、

「お母さん、そり遊びしたいの?」

と娘がきいた。

「雪山なんて大嫌いだ!」

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