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移住コーディネーター

子育てが始まって実感した故郷の魅力
夫婦で一緒に進めたU・Iターン転職活動

奥州市へ
Uターン

株式会社アイディーエス ソリューション事業部

佐藤拓哉さん

(奥州市出身/2020年移住)

奥州市出身。高校を卒業後、熊本県の大学へ進学。大学にて電気電子情報工学を学び、東京でシステムエンジニアとして就職、上海への出向なども経験。転職活動を経て2020年1月に奥州市の株式会社アイディーエスに就職。ソリューション事業部にてシステムエンジニアとして勤務。(2021年度取材)

都会で感じた子育てのギャップ
「子どもをのびのび育てたい」

県外から岩手へのU・Iターン転職活動のネックの一つとなるのが、距離の問題です。
「面接を受けに岩手まで行く時間の確保、交通費の支出は確かに大変でした。だからこそ、オンラインでのリモート面接が一般的になった今は、U・Iターン転職のチャンスだと思います。」
東京でシステムエンジニアとして働いていた佐藤さんは、2020年1月に奥州市のシステム開発会社・株式会社アイディーエスにUターン就職。コロナ禍の前でしたが、リモート面接が受けられたこと、東京支社があり都内にいながら会社の雰囲気を見ることができたことが、転職の決め手になったと言います。
「何社か面接を受けましたが、これからの20年は子育てのために働く20年になるので、実績や歴史があり、働きやすい今の会社を選びました。岩手にありながら全国に顧客を持ち、希望すればまた東京での勤務も叶うという東京とのボーダーレスをテーマにしているのも魅力的でした。」
同じくシステムエンジニアである北海道出身の奥様と一緒に、岩手へのU・Iターン転職活動を進めたという佐藤さん。それを支えたのは「子どもをのびのびと育てたい」という夫婦共通の願いでした。

佐藤さんは奥州市前沢区出身。「東京はいずれ住むこともあるだろうから、学生のうちは温かい地域に住んでみたい。」との思いから、熊本県の大学へ進学。電気工事士を目標とした情報電気電子工学科への進学でしたが、大学卒業後はシステムエンジニアの道に進みます。
「父親は別業種の職業だったのですが、コンピュータが好きな人で、私が小学生の頃からWindows95よりも前のMS-DOSのマシンが家にはありました。当時、コマンドプロンプトを操作しながら考えていたプログラムを作る人になりたいという夢を、大学での勉強を通じて思い出したんです。」
東京でシステムエンジニアとして就職。忙しくも充実した日々の中で、Uターンを考えることはほとんどなかったと言います。Uターンを意識し出したのは36歳の時、長女の誕生がきっかけでした。
「公園に行っても人が多くて遊具の順番待ちをしなければならないこと、マンションでは子どもの生活音を気にしながら暮らさなければならないこと。それらは都会では当たり前なのかもしれませんが、公園はほとんど貸切状態で、家でも庭でも思う存分走り回っていた自分の子ども時代と比べると、そのギャップに戸惑いました。」
故郷について、特別な感情を持ったことはなかったという佐藤さん。でも、子育てが始まって初めて、豊かな自然の中で、のびのびと遊んだ自分の子ども時代がとても恵まれていたのだということに気づいたそうです。
「娘にものびのび育ってほしい。」その思いを一つにし、奥様と二人で転職活動に始めます。

移住後の家族との休日の様子

 

夫婦で一緒にU・Iターン転職活動
東京とのボーダーレスな働き方

最初は就職サイトで情報収集をしていた佐藤さん夫婦ですが、都内にも相談窓口があるのを知り、いわて暮らしサポートセンター(有楽町)と岩手県U・Iターンセンター(銀座)の2つの窓口に登録。
「専門のカウンセラーに、自分に合った適切な情報をアドバイスしてもらえるのはとても参考になりました。世帯移住で100万円(2019年度当時)が支給される移住支援金制度も、その時に窓口で教えてもらいました。岩手県U・Iターンセンターがアンテナショップ“いわて銀河プラザ”にあるのも良かったです。そこで購入できる奥州市名物の漬物“弁慶のほろほろ漬”に夫婦でファンになり、転職活動が辛くなった時でも、ほろほろ漬けが買えるからセンターに行こう!なんて、夫婦で励まし合っていました。」

2020年1月、およそ半年間の転職活動を経て、二人とも希望する企業への転職が決定。奥州市の佐藤さんの実家で、ご両親と同居し、新しい生活が始まりました。
「庭で遊んだり、人のいない広場で自由に自転車に乗ったり、娘がのびのび遊ぶ姿を見ると、Uターンして良かったなと実感します。東京にいた頃、娘は風邪をひきやすく、有給休暇のほとんどは娘の介抱で消化していて心配でしたが、岩手に来てから風邪をひく回数もかなり減って、丈夫になったように感じます。妹も産まれたので、これからも姉妹仲良く外遊びを楽しんでほしいです。」

Uターン直後に、新型コロナウイルス感染症が拡大。県外に行くことは難しくなりましたが、佐藤さんは故郷の奥州市で新しい楽しみを見つけたそうです。
「奥州市は歴史や文化財の宝庫です。坂上田村麻呂が造営した胆沢城跡、奥州藤原氏初代当主・清衡の豊田館跡、幕末の蘭学者・高野長英の旧宅、コロナ禍で検疫事業の功績が再び注目されている後藤新平の記念館や水沢城下の面影が残る町並みなど、子どものころは気にしなかったのですが、大人になって自分が住む町の歴史を知る楽しさに気づきました。休みの日は、家族で史跡の案内板巡りなどをしています。娘たちには、ご当地アイスクリーム巡りの方が好評ですが。」

子どもたちが大きくなったら東北の史跡巡りに出かけるのを楽しみにしているという佐藤さん。一方で、佐藤さんの会社では東京とのボーダーレスをテーマにしており、若い社員や子育てを終えた社員が東京支社へ異動を希望した場合、その東京での挑戦をサポートしています。
「もし娘が東京の大学へ進学するなら、そのタイミングで東京に異動し一緒に暮らして、もう一度、東京で働くのも面白いかなと思っています。娘の嫌がる顔が、もう目に浮かぶようですけどね。」
と、楽しそうに将来の展望を話す佐藤さん。家族を連れてUターンという大きな分岐点の後にも、人生を豊かにする分岐点がまだまだ待っていそうです。


移住後の家族との休日の様子

Q&A

収入と支出のバランスは変わりましたか?

東京で夫婦二人とも正社員の共働きでしたので、転職により世帯収入はかなり減りました。でも、東京時代に家賃と駐車場代で15万円近い出費だったのが、私たちの場合は実家に戻ったことで0円になりましたし、今は定時過ぎに仕事が終わった後まっすぐ家に帰るので、交際費や外食費もかなり減りました。収支で見るとそんなに変化はないと感じています。

移住支援金の使い道は?

私だけではなく、妻も車通勤をすることになったので、2台目の車の購入費に充てました。満員電車の通勤から解放されたことは、Uターンして本当に良かったと思うことの1つですね。

U・Iターン転職を考えている人にメッセージを

私は40歳を目前としたUターン転職でしたが、転職活動中に年齢をハードルに感じる場面はほとんどありませんでした。何歳でも分岐点は作れると思います。移住の相談窓口などを活用し、相談したりアドバイスを受けたりしながら、自身で後悔のないように決断をしてほしいと思います。

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