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移住コーディネーター

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転職のハードルを下げた企業との交流イベント
縁をつないで地元へUターン

奥州市へ
Uターン

川嶋印刷株式会社 本社営業部本社営業課

三浦秀敏さん

(一関市出身/2017年に移住)

一関市出身。一関市内の高校を卒業後、進学を機に上京。大学卒業後は都内の携帯電話会社で販売業務や人材育成に従事。5年間勤務したのち、転職活動を経てUターン。現在は川嶋印刷株式会社にて営業職として勤務する。(2021年度取材)

帰郷を遠ざけた震災
東京での就職を選択

世界遺産の町・平泉町に本社工場を置く川嶋印刷株式会社。創業は明治44年と100年以上続く老舗企業です。本社営業部で働く三浦さんは、2017年4月に東京からUターン転職をした社員。
「出身は平泉のとなりの一関市ですが、恥ずかしながらこの会社のことは転職活動を始めるまで知りませんでした。高校卒業と同時に上京したので、地元の企業のことはほとんど知らなかったんです。」
三浦さんが、転職先となる川嶋印刷株式会社を知ったのは東京の中心・丸の内。あるイベントへの参加がきっかけでした。

一関市室根にある兼業農家のご実家で、両親と祖父母、そして「きょうだい喧嘩をした記憶はほとんどない」という姉2人と、大家族で育った三浦さん。広い庭では、おばあさんにピッチャーをやってもらってバッティング練習をしたり、農作業の日は、10時のこびる(小休憩)にみんなにお菓子を運ぶ係に勤しんだりと、室根の美しい里山の景色の中で、高校生までを過ごしました。
進路は、最初は調理師になるために地元の専門学校への進学を考えていたそうです。
「進路指導が進むにつれて、先生から、大学に進んで一般教養を深めてから仕事を考えても良いのではないか?と提案がありました。親も応援してくれたので、興味のあった環境創造を学べる東京の大学へ進学することにしました。」

就職のタイミングで岩手に帰る、そう漠然と決めていた三浦さんですが、就職活動が本格化した大学3年生の3月に東日本大震災津波が発災。一関市の実家もライフラインが途絶え、ようやく連絡がついたのは2日後のこと。何より気がかりだったのは、隣接する気仙沼市(宮城県)で助産師として病院で働くお母さんのことだったそうです。
「母から聞いた気仙沼の津波火災の話はとても衝撃でした。今からたった1年後に、岩手で自分が働ける場所はないだろう。それなら、東京で社会人としてもっと力をつけてから帰ろうと思いました。」

大学卒業後、就職先に選んだのは携帯電話の販売会社。
「同じ商品でも、あの人からは買わないけどこの人からは買う。その差を左右する“営業”がとても興味深くて販売をやってみたいと思ったんです。」
折しも時は、スマートフォン時代の到来。忙しい時には始発で出勤して、終電で帰宅するという日が続きましたが、会社では後輩の人材育成を担当するなど着実にキャリアを重ねました。

就職してから5年が経とうとしていた2017年3月。その時、何気なく「岩手 転職」で検索して見つけたのが、岩手県中小企業団体中央会が東京・丸の内で開催する「TOHOKUなんとかすっぺ会議」というイベントでした。
「岩手の企業7社の経営者が、その企業の課題解決について参加者と車座になってディスカッションするというワークショップです。就職面接会よりはハードルが低く感じて、これなら参加してみようかなと思いました。」


一関夏まつり川嶋神輿に参加した時の集合写真

 

転機となった車座会議
故郷での家族との新しい暮らし

イベントで、川嶋印刷株式会社の会長と社長の“経営者と社員の間にある壁を取り払うにはどうしたら良いか?”というテーマのディスカッションに参加した三浦さん。
「社員を第一に考えたテーマなので好感が持てたのを覚えています。緊張もありましたが、就職するつもりではなかったので、自分なりの意見を話しました。」
その2週間後、帰省ついでに一関市で開催される就職ガイダンスに参加。そこで、企業ブース出展していた会長と社長に再会します。
「挨拶をするだけのつもりだったのですが、“君、以前に会ったことあるね”と社長から呼び止めてもらいました。」
そして、その日の内に社長直々に本社の工場見学に案内してもらい、その後は役員面接へ。“経営者と社員の間にある壁”について、「経営者が自ら社員にもっと歩み寄るべきだ」と意見をした三浦さんは、想像以上の歩み寄りで、その日の内に内定をもらうことに。
「即日、転職先を決めて帰ってきたので、特に母は驚いていましたね。でも、社員のことを第一に考えているとはっきり仰ったことと、全社一丸となって“世界一きれい”といわれる最高のものづくりに取り組んでいるというお話に感銘を受けて、入社を決めました。」

翌月には一度実家に戻る形でUターンし、就職。交際していた彼女も、岩手支社への異動が叶い、5月に岩手へ移住。秋には入籍し、1年後に第一子となる長男が誕生。現在は二人の勤務地の中間にあたる奥州市で、家族3人で暮らしています。

「もともと地元だった私と違い、妻は埼玉出身ですので、最初の頃は“お店が少ない”とか、今までとのギャップは大きかったようです。でも、私も妻も出かけるのが好きで、いろいろ県内を見て回っている内に、“水沢江刺駅前におしゃれでおいしいパン屋さんを見つけた!”とか、自分なりに岩手での好きなものを見つけているみたいです。私自身も子どもが生まれてから、岩手県立児童館いわて子どもの森(一戸町)とか、今まで知らなかったスポットがたくさんあるのを知って、次はどこに行こうかと調べるのが楽しいですね。」

実家には、2週間に1度は家族で遊びに行くという三浦さん。息子さんと田んぼを素足で歩いたり、畑でじゃがいもや大根の収穫をしたりと、一緒に農作業も楽しんでいるそうです。間もなく第2子も誕生予定とのこと。
「私の子どもの時のように実家の庭で、子どもたちと野球ができたら嬉しいですね。」と、また岩手での楽しみを一つ見つけた三浦さんです。

 
家族との休日の様子

Q&A

今後の目標は何ですか?

岩手で仕事をして初めて、岩手県内に魅力的な企業や商品がたくさんあることに気づきました。私の仕事は、紙媒体はもちろんデジタル媒体やパッケージ印刷などで、その魅力をより良く伝える伝達方法を企画し提案する仕事ですので、自分の仕事が岩手の企業のPRの一助を担えたらと思っています。

U・Iターン転職を考えている人にメッセージを

転職サイトで見られる企業情報など表に出ているものは、その企業の一部に過ぎませんので、実際に話す機会があればぜひ積極的に参加してほしいですね。就職面接会以外にも、私が参加したように、経営者や先輩社員と話すワークショップなど、イベントの内容も豊富なので、調べてみてほしいです。

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